女子マンガの手帖

女子マンガ研究家・小田真琴のブログです。主に素晴らしいマンガを褒め称えます。

女子マンガ的スポ根の一形態としての『3月のライオン』


羽海野チカ3月のライオン』1〜3巻(白泉社・\490〜510) 15歳でプロとなった天才高校生棋士・桐山零の、苦悩と成長を描く、羽海野チカ先生による初の青年誌連載作品。下町での心温まる生活と、棋士としての厳しい競技生活、そして義理の家族との確執を軸に、物語は進む。


黒田三郎さんの詩集『ひとりの女に』の中に、「もはやそれ以上」という一篇があります。ちょっと長いのですが、引用します。

もはやそれ以上何を失おうと
僕には失うものとてはなかったのだ
河に舞い落ちた一枚の木の葉のように
流れてゆくばかりであった

かつて僕は死の海をゆく船上で
ぼんやり空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと坐っていたことがある

今は今で
たとえ白いビルディングの窓から
インフレの町を見下ろしているにしても
そこにどんなちがった運命があることか

運命は
屋上から身を投げる少女のように
僕の頭上に
落ちてきたのである

もんどりうって
死にもしないで
一体だれが僕を起こしてくれたのか
少女よ

そのとき
あなたがささやいたのだ
失うものを
私があなたに差上げると

(現代詩文庫『黒田三郎詩集』思潮社より)


3月のライオン』は、そんな物語です。


主人公・桐山零くんは、15歳にしてプロとなった天才棋士。幼いころから将棋好きの父と対局を続けるうちにみるみる腕を上げ、突然の交通事故で父、母、妹を失ってからは、父の友人であったプロ棋士・幸田さんのもとへと引き取られました。ところが圧倒的な桐山くんの実力が「将棋の家」である幸田家の実子からは疎まれ、17歳になった桐山くんは幸田家から出奔、今は東京の月島と思わしき下町に一人暮らしをしています。
そんな桐山くんをやさしく見守るのが、近所に住む川本さんの三姉妹。普段はジャンクフードばかり食べている桐山くんを夕食に誘ったり、風邪を引いて寝込んでいた桐山くんを強制的に家へ連れてきて看病したりする、下町的な人情にあふれたやさしい一家です。そんな川本三姉妹も、かつてなんらかの理由で両親を失ったようで、それは物語が進むうち徐々に明らかにされることでしょう。


本作は白泉社の青年誌「ヤングアニマル」に連載されいます。当時、羽海野先生の前作『ハチミツとクローバー』に熱狂した私の周りの女子マンガ好きたちの間では、「先生は次にどこで、何を描くのか?」が最大の関心事でしたから、「ヤングアニマル」と聞いたときにはみな一様に困惑したものです。
ヤングアニマル」と言えば、全盛期を迎えつつあった『デトロイト・メタル・シティ』、長期連載の『ふたりエッチ』『ベルセルク』、佳境に差し掛かっていた『ホーリーランド』あたりを主力とする、エロとバイオレンスとギャグに溢れた部室臭い青年マンガ誌でありました。『ハチクロ』で一躍、乙女/女子カルチャーの旗手となった羽海野先生は、「ヤングアニマル」で一体どのような物語を紡ぎ出すというのでしょうか。


第1話は、いきなりの対局シーンから始まります。その相手はほかならぬ義父。4ページ後、桐山くんは見事勝利を収めます。やったぜ桐山! 勝利だ! さすが天才! もはや師をも凌駕するその戦闘力! ここから新時代の桐山伝説が始まる…っ! かと思いきや、そうはなりません。羽海野先生は、桐山くんと義父との間にあるほの暗い闇を匂わせながら、桐山くんの勝利の苦みばかりを執拗に描くのです。
これは、従来の男性向けマンガとはまったく異なる文法です。いつの時代も、男性向けマンガにおいて重視されるのは、かつての「少年ジャンプ」が掲げた3つのキーワード、「友情」、「努力」、そしてその結果としての「勝利」です。対象読者の年齢が上昇すればここに「エロ」が加わりますが、「勝利」こそが男性向けマンガにおける最大の読者サービスであることに変わりはありません。
ところが羽海野先生は、第1話にして物語における「勝利」の価値を否定してみせたのです。


その後も順調に勝ち星を重ねる桐山くんですが、単行本2巻に入るころから負けが込み始めます。順位戦で3連敗を喫し、MHK杯でも負け、3巻では辻井九段に勝利しますが、島田八段には完敗します。男性向けマンガ誌で、これほどまでに主人公が負けるマンガも珍しいのではないでしょうか。
そしてたとえ勝利したとしても、そこに伴う痛みに羽海野先生はページを割きます。また3巻が象徴的ですが、辻井九段に勝ったことよりも、島田八段に負けたことの方を、より丁寧に描くのです。


一般的な男性向けスポ根が「0を1にする物語」、つまり勝利することによって自分が凡庸な存在から何者か(チャンピオンであったり世界的な名選手であったり)にクラスチェンジする物語だとしたら、『3月のライオン』は「マイナスを0にする物語」です。家族を失い、新たに得た義理の家族をも失い、そして自らの居場所を失った桐山くんは、いま盤上に自分の居場所を探し求めています。
そして奇しくも桐山くんの名前は「零」。つまり本作は、桐山くんがマイナスの状態から脱し、「0地点」に立つまでの物語なのです。冒頭で「零」という名を罵倒する義理の姉・香子さんは、「1」や「2」であることにこそ意味を見出す、むしろ男性向けスポ根的な思考の持ち主と言えましょう(だから後藤のような男に惹かれるわけです)。
また本作においては、対局に勝利すればマイナスが0に近づくわけでもありません。現にこれまでに描かれた「勝利」の後に、羽海野先生はなんらカタルシスを用意していません。カタルシスはむしろ負けた後の、川本三姉妹や、棋士仲間との交流の中に描かれます。


桐山くんと川本三姉妹の関係性が、もっとも簡潔に、そしてもっとも美しく描かれているのは、各話の扉絵です(『3月のライオン』の扉絵が、一続きのお話になっていることにみなさんはお気づきでしたでしょうか?)。1巻では、仲良くアイスキャンディを食べる桐山くん、次女のひなたちゃん、三女のモモちゃんの様子が描かれます。が、三女・モモちゃんが途中でアイスを落としてしまいます。それを見た次女のひなたちゃんは、モモちゃんに自分の食べかけのアイスを与えます。さらにそれを見ていた桐山くんは、ひなたちゃんに自分のアイスを差し出します。そしてモモちゃんが食べていたアイスの棒には「当たり」の文字。新たに得たもう1本のアイスは、帰宅後に長女・あかりさんへとプレゼントされます。
3本あったアイスのうちの1本は失われましたが、新たな1本を得て3本に戻り、4人はささやかな幸せを手にしました。そしてそれは1人の力では為し得なかった、美しい足し算でもあります。


もしかしたら「将棋」は、本作において背景に過ぎないのかもしれません。将棋ならではの抑制の利いたトーンは、確かにこの物語に独特の陰影を与えてはいますが、少なくとも羽海野先生は、将棋における「勝利」を描きたいのではありません。描きたいのはむしろ「敗北」。そしてそこから立ち直る人の姿。またその人に、手を差し伸べる他者の姿。
負ければ負けるほど、他者との交流を通じて、桐山くんは0へと近づくことでしょう。登場人物が巨乳化したり、そもそも将棋といった競技であったりと、一見青年マンガ誌向けにカスタマイズされたように見せかけておきながら、やはり『3月のライオン』は根っからの女子マンガでありました。この物語が果たして旧来の「ヤングアニマル」読者にどのように受容されているのか、甚だ興味深いところではあります。