女子マンガの手帖

女子マンガ研究家・小田真琴のブログです。主に素晴らしいマンガを褒め称えます。

『夢みる頃をすぎても』の頃をすぎても。


吉田秋生『夢みる頃をすぎても』全1巻(小学館文庫・\610) 「去りゆくもの」と「来るべきもの」が交錯する思春期の終わりを、情感たっぷりに描いた黄菜子・恭一シリーズをはじめ、『バナナフィッシュ』方面に傾斜する以前の天才・吉田秋生のエッセンスがたっぷりつまった世界遺産級短編集。


 やりかけの仕事のウインドウを開きっぱなしにしながら、唐突に吉田秋生『夢みる頃をすぎても』を読み返した体育の日。何度読んでも、いつ読んでも、森田和美の「あれから六年もたってることだし……」というセリフにドキリとしてキュンとしてしまいます。

 本作の初出は『プチフラワー』昭和57年1月号。当時4歳だった私が、本作を初めて手に取ったのは、いま手元にある文庫版が発売された1995年7月。初出から27年の時を経ても、作品自体の輝きはまったく色褪せることありませんが、なんというか、「つらい」部分は出てきます。そもそも冒頭からして、「国鉄がさーサーフ・ボードの持ちこみ許可したでしょ」でしょう。このままでは本作の素晴らしさが現代の若者たちに伝わらなくなってしまう! そう危惧した私は、やりかけの仕事を投げ出して、詳細な注釈を作成することにしたのです。




▼「国鉄※1がさー」
※1国鉄……民営化される以前のJRのこと。日本国有鉄道


▼「白いスカG※2見るたびに胸がいたむわ」
※2スカG…セダンに無理やり直列6気筒エンジンをぶち込み、ポール・ニューマンをCMに起用するなどして当時の若者に大人気だった日産『スカイラインGT』シリーズのこと。2001年に復活


▼「ロンドンブーツなんてアナクロい※3の趣味じゃないわ」
※3アナクロい…懐古主義的であること


▼「日々きたえた“かわいこぶりっ子※4”の技が役に立つのよ!」
※4かわいこぶりっ子…男性の欲求に100%応えるような媚態を演じるさま、または人。現在では同性からの激しい非難を恐れて絶滅の危機にあり、代わって「猛禽」((C) 臨死!!江古田ちゃん)と呼ばれる勢力が急成長している


▼「よかったらさーお茶でも飲まない?※5」
※5お茶でも飲まない…ナンパの際の常套句。「お茶しない?」と同義


▼「あたしタラコ・スパゲティ※6とサラダとチーズケーキとコーヒー」
※6スパゲティ…パスタのこと


▼「いいなーあれ※7」
※7タケノコ族…「ツッパリ」(現在のヤンキー)から派生し、原宿で独自の発展を遂げた不良集団。ラジカセ(ラジオとカセットテーププレーヤーが一体化した音楽再生装置)から流れるディスコ・ミュージックをバックに、まわりの迷惑を顧みず歩行者天国(通称ホコテン。1998年6月で廃止)で踊っていた


▼「ホの字※8のきみだったんじゃないか」
※8ホの字…「ホ」は「惚れる」の頭文字。惚れていること


▼「むこうから三番目アタマにバンダナ※9まいてる」
※9バンダナ…頭に巻く布きれ。現在ではおしゃれカフェ店員や一部アキバ系男子を除いて身に付ける者は少ない


▼「ウッソォー※10信じられないわぁそれほんとォ?」
※10ウッソォー…信じられないようなことを聞いた時の感嘆を表すリアクション


▼「あっあのねーわたしだけどォ※11」
※11公衆電話…街中に設置されたコイン式の電話機。10円玉やテレホンカード(公衆電話用のプリペイド式カード)で通話することができる


▼「またサ店※12にでも入る?」
※12サ店…喫茶店のこと。コーヒーやサンドイッチ、ナポリタンなどをメインメニューとする飲食店。ヒゲのマスターがいる




 作成中、注釈に注釈を重ねねばならないことに私は慄然といたしました。「ラジカセ」を説明しようにも、まずはカセットテープから説明せねばならないのです。iPod世代の若者にどう言えば伝わる!? たった20年前のことなのに……。
 岡野玲子先生の『ファンシィダンス』などもいま読み返すと相当に恥ずかしいけれども、マンガという文化が同時代のモードを積極的に取り入れるメディアである以上、それは宿命です。だから例えば『あさきゆめみし』を見て、「この十二単はちょっと古いよね」と誰も言わないように、いっそそれくらいの時が流れてしまえば幸せなのかもしれません。しかし1000年もの時を待っていては、この作品自体が忘れ去られてしまう!
 安易なリメイクでなしに、こうした15〜30年前の名作を伝えていくためには、ただ堅実な注釈作りも必要なのではないか、と思った次第であります。