「パンビー」は本当に「フランスの家庭では定番のお菓子」なのか?
大半の人にはどうでもいいことなのでしょうが、個人的にものすごくモヤモヤしたもので…。私の愛読誌である「オレンジページ」2017年11/2号の表紙に見慣れぬお菓子が掲載されていました。
- 出版社/メーカー: オレンジページ
- 発売日: 2017/10/17
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オレペ初登場のケーキ『パンビー』。まだまだ知らない人も多いかもしれませんが、フランスの家庭では定番のお菓子
ほんとかよ!!!
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料理研究家もフランス人も知らない謎のフランス菓子「パンビー」
フランスへの留学経験がある複数の料理研究家さんに尋ねてみたところ、全員が口を揃えて「知らない」と即答。そのうちのお一人は知り合いのフランス人に聞いてみたらしいのですが、「そんなお菓子聞いたことない」と言われたそうです(フランス語で)。
大まかなところは「オレンジページ」の公式サイトにも書かれてはいますが(ここでも「フランスの家庭では昔から親しまれてきたスイーツなんです」との記述あり)、とりあえずは日本語で検索してみたところ、日本のネットではここ数年、パンビーが「フランスの伝統菓子」として広まっていることがわかりました。たとえば最近では「クックパッドニュース」が2017年5月にこんな記事でレシピを紹介しています。
次にフランス語で検索。「オレンジページ」にあったフランス語表記は「pain bis」。しかしこれはフランス語で「種なしパン」を表す言葉です(失敬、Twitterでご指摘を受けて「ロベール仏和」で調べ直したら、pain bisは灰褐色の「ブラウンブレッド」のことでした)。案の定それらしきものはヒットしません。とある日本語のサイトには「panby」という綴りもありましたが、いかにもフランス語っぽくないスペルです。「pain-bis」「painbi」…いろいろ試してみましたが、なにも引っかかりませんでした。これは一体どういことなのでしょう?
フランス菓子に詳しい人間ならすぐにわかる「違和感」
私がまず違和感を覚えたのがそのフォルム。2枚の生地のあいだにクリームを挟むというスタイルはいかにも日本的な洋菓子、例えばショートケーキやシュークリームなどを彷彿とさせます。もちろんフランスにもこのようなスタイルのお菓子はありますが(トロペジェンヌ、パリブレストなど)、フランス的かというと疑問符が付きます。フランスの伝統菓子と言えば、バターがたっぷり入った生地で作る焼き菓子か、タルトのヴァリエーションようなものが大半ではないでしょうか。
▲タルト・トロペジェンヌは「伝統菓子」というよりも、戦後にできた名物菓子です。こちらのお店が元祖。
そしてその名前。フランス人が言うには「パンビーなんて名前、フランス人なら絶対につけないと思う」とのこと。私もそう思います。音がまったくフランス語っぽくないんですよね。英語ならまだ納得できるのですが…いかにも怪しい。
パンビーの元祖発見!?
私は方々に手を尽くして情報を集めました。そして遂に1人のシェフにたどり着きました。かつて代々木上原や京橋で人気を博したフランス料理の名店「カストール」の藤野賢治シェフ。複数の方から藤野シェフの著書『はりきりうさぎさんのドキドキお菓子絵本』(鎌倉書房、1987)にパン・ビー(藤野シェフの表記では中黒が入るようです)のレシピが載っていたとの情報をいただいたのです。
はりきりうさぎさんのドキドキお菓子絵本 (はりきりうさぎさんシリーズ)
- 作者: 鎌倉書房書籍編集部
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さらにこちらのサイトにより、『シェフ・シリーズ 60号 カストール 藤野賢治シェフ 定番・料理と菓子 客が選んだ人気の味』(中央公論社、1994)という本にも、どうやらパン・ビーのレシピが掲載されいることがわかりました。前出の本よりかは本格的な内容のようなので、もしかしたら由来なども書かれているかもしれないのですが、残念ながら現物が見つかりません。
【追記】こちらの本にもパン・ビーのレシピが掲載されているようです。やはり藤野シェフで、初版は1988年。
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今のところこれより古い情報は掴めておりません。そしてもちろん「フランスの家庭では定番のお菓子」であることを示す情報もありません。藤野シェフは、フランスの料理やお菓子がまだ一般的でなかったころから、日本の家庭でも作りやすいようにルセットを工夫して、料理教室や雑誌・書籍で紹介してきた方です。藤野シェフのオリジナルレシピである可能性が高まってまいりましたが、しかし未だ決定打ではありません。
日本で広がった「パン・ビー」のルセット
おそらく藤野シェフによって広く知られるようになったパン・ビーは、今はなき西八王子の名店「ア・ポワン」(1992〜2012)の定番メニューとしても人気を博していたようです。同店のシェフ・岡田吉之氏の著書『シンプルをきわめる』(柴田書店、2010)にもパン・ビー(岡田シェフもこの表記を採用)のレシピが載ってはいるのですが、やはり由来などへの言及はありませんでした。
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一方ではコーヒーの名店、堀口珈琲のカフェメニューにもパンビーはラインナップされていたようです。タイユバン・ロビュション出身のパティシエがレシピを持ち込んだとこちらの日記にありました。具体的に堀口珈琲がいつからパンビーを作り始めたかはわからないものの(社史によると独自のお菓子を作り始めたのは1996年から)、堀口珈琲の影響でしょうか、現在でもパンビーを提供する喫茶店は全国各地にあるようです。作りやすいですしね。
なお、堀口珈琲のパンビーのレシピはこちらのGoogleブックスで見られます。出典は2009年刊行の堀口珈琲代表の著書『「極上の一杯」の淹れ方がわかる! おいしい珈琲のある生活』(PHP研究所)です。
さらに関係性はまったく不明ですが、辻調には「パン・コンプレ」というパンビーにそっくりのお菓子が以前からあったようです。このテキストがいつ書かれたものかはわかりませんが、「10うん年前」に辻調のフランス校でなんとM.O.F保持者であるMaurice Boguais氏が実習で披露したとあります。ルセットを見ると、ビスキュイアラキュイエールにクレームディプロマットではなくイタリアンメレンゲベースのバタークリームを挟んだものになっています。うーん、どうなんでしょうか。ちなみにフランス語で「pain complet」というと、全粒粉のパンのことです。
イマジン…
ここから先は私の想像ですが、ビスキュイアラキュイエールを家庭向けに簡略化したものは、もしかしたらフランスの家庭にもあったかもしれません。それを藤野シェフかどなたかが日本向けにショートケーキ/シュークリーム風にアレンジして「パン・ビー」と名付けたのではないでしょうか。だって全然フランスのお菓子っぽくないんですもの。
間違っていたら申し訳ないのですが、実際に「フランスの伝統菓子」ならば、フランスのどの地方の伝統菓子なのか教えてほしいものです。パンビーが「フランスの家庭では定番のお菓子」って、本当なんでしょうか? 「オレンジページ」を責める意図はまったくなく、私は単に歴史的事実を知りたいだけなのです。引き続き情報求む!
▲こちらは藤野賢治先生の次女・貴子さんのInstagramより。お尋ねすればいちばん手っ取り早いのでしょうが(笑)。